甚伍朗店主 藤方慶松 ご挨拶
昭和42年(1967年)、先代による創業以来、藤沢の地で寿司屋を営ませていただき多くのお客様にご愛顧を賜ってまいりました。
平成19年(2008年)、先代を亡くし大将を引き継がせていただき、平成26年(2015年)、現在の甚伍朗ビル3階に店を移しました。
以前にも増して多くのお客様にご来店いただき甚伍朗の旬の魚や各種お料理をお楽しみいただいておりますことを深く感謝申し上げます。
最近はありがたいことにご予約による貸切や満席の日も少なくなく、ふらっと立ち寄っていただいたお客様にはお召し上がりいただけないこともあり、誠に申し訳なくお詫びを申し上げます。
さて、近頃は、外国人のお客様も増えてきて、寿司や日本食に対するご関心の高さを実感しております。
平成31年(2019年)1月、私は一般社団法人日本の伝統文化おもてなし協会の理事に就任いたしました。
これから、益々増えるであろう外国人のお客様を美味しいお寿司やお酒でおもてなしをさせていただき、「藤沢のあのおもてなしが忘れられない」「また、藤沢に行きたい」と言っていただき、それが海外からの評判に繋がり、さらに多くの外国人のお客様の訪日、そして藤沢来訪に繋がれば、多少でも藤沢の街への恩返しにならないかと考えております。
時にはランチと夜の営業の時間の合間を使って、訪日外国人向け「握り寿司体験会」や「巻き寿司体験」などを催して、訪日外国人の方に楽しんでもらいたいと考えております。
従前からのお客様を大切にする気持ちは決して忘れませんが、どうか、新たな試みにもご理解をいただきたくお願い申し上げます。
今後とも甚伍朗の寿司と料理、そしてお酒をご愛顧いただけますことをお願いいたしましてご挨拶とさせていただきます。
藤方慶松(ふじかたよしまつ)1970年生まれ
【修行時代】
藤沢市鵠沼石上の現在のお店付近にあった実家にて誕生しました。 大道小学校に入学、小学校3年生の時に新設された新林小学校に転校。 鵠沼中学に通いながら野球に没頭し、一方でいわゆる不良少年として卒業しました。 中学卒業後は進学せず、父の跡を継ぐために横浜の愛知屋で修行を始めました。 何人もの兄弟子たちに引っぱたかれながら毎日を過ごしました。 当時100kgあった私の体重は60kg台にまでなりました。 辛く厳しい修行時代でしたがあの頃の経験がなかったら今の私はなかったです。 その後、平塚の割烹料理の店でも勉強させていただき、20歳になる頃に父の営む甚伍朗に 入らせてもらいました。
【現在の甚伍朗】
平成3年に今の甚伍朗ビルが父の手によって建てられましたが、甚伍朗は現在の国道467号線沿いの 片瀬に店を構えて営業しておりました。平成19年に父を亡くし、その後から私が店の大将として 26年まで皆様に可愛がってもらいました。平成26年に現在の甚伍朗ビル3階に移転し今日に至っております。 甚伍朗の暖簾を守ってようやく10年が経とうとしております。 これまで多くのお客様にご来店いただいたり出前のご用命を頂いてまいりましたが、ひとえに 皆様の御愛顧に感謝いたしております。
【日々の思い】
今、毎日のようにお店に立って、板場から皆様のお顔を拝しながら料理をしたり、寿司を握らせて いただいておりますが、このお店はお客様のお顔がよく見えるような作りにさせていただきました。 お料理をお待ちいただく時のお顔、召し上がっていただく時のお顔、お帰りの際のお顔・・・ ご満足いただけたか?ご不満がないか? そして、言うまでもなく「美味しかったよ。また来るね!」などと言っていただけることが何よりの 喜びであります。
【寿司屋の将来】
私の若い頃とはすっかり時代が変わりましたが、若い寿司職人には是非とも頑張ってもらいたいと思っております。 先輩や親方に厳しく躾けられるようなことが受け入れられる時代ではないとも思っておりますが、 もし、私のような和食や寿司の職人になることを夢見ている若い人がいるなら是非、甚伍朗で育ててみたいと 思います。 甘やかすことはしませんが、私が昔、思い悩んだような嫌な思いはさせずに愛情をもって育てたいと思います。 寿司という日本の伝統的な美しい「和」の世界がこれからもずっと、守られ、そして引き継がれ、ますますグローバル化していく 世界の中で堂々と脈々と繋がって行くように、その一助となることが出来れば幸甚でございます。